劉備、蜀帝となる(221年)
劉備玄徳。黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦して、建安19年(214年)、諸葛亮の「天下三分の計」に基づいて益州に侵入、つぎつぎに諸県を平定して、念願の蜀を手に入れる。ここに魏・呉・蜀の三国鼎立時代を掲げて漢中王の位についた。建安25年(220年)正月、曹操が洛陽で病没。あとを継いだ曹丕が、この年10月、献帝より禅譲を受けて魏王朝を創建した。劉備はこの知らせを受けると、翌年、元号を章武元年と定め、4月6日「漢室再興」の旗じるしをかかげて帝位に即く。これがいわゆる「蜀漢」あるいは「蜀国」である。妃は呉皇后、劉禅が太子。呉夫人の腹の劉永を魯王、劉理を梁王とし、百官も昇進、天下に大赦を行なった。
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