名家の悲劇「カラカラとゲタ」
偉大な人物の息子がひどくできが悪いと、「不肖の息子」という汚名を着せられる。源頼朝の息子「源頼家」、足利義政の息子「足利義尚」、大内義興の息子「大内義隆」、加藤清正の息子「加藤忠広」など。親が偉大だと子供はかなり努力しても親を超えることは至難である。ある程度の力がありながらも長嶋一茂や野村克則も期待したほどの成績を残すことはでなかった。リチャード・クロムウェルは父の後を継いで護国卿に就任したものの、無能で人望がなかった。そのような悲劇の息子は世界史ではカラカラとゲタではないだろうか。211年2月4日、ローマ皇帝の名君として知られたセプティミウス・セウェルスが亡くなった。後継者となったカラカラとゲタは共同統治をするも兄弟仲が悪かった。カラカラは弟ゲタを暗殺する。カラカラは残忍な性格で、ローマに大浴場を建設して淫楽にふけった。217年4月8日、カラカラは近衛隊長ユリウス・マルティアリスにより暗殺された。(Caracalla,Geta)
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