「盈」昔はこんな漢字も使われていた
漢の恵帝が好きだという人は歴史ファンの中でも皆無だろう。秦始皇帝、高祖劉邦、文帝、武帝という英雄たちの間にあってほとんど話題にすらならない。前漢の第2代皇帝(在位前195~前188)。高祖と呂太后との間に生まれるも、嫡男で皇太子の盈(えい、後の恵帝)は柔弱暗愚であったため、高祖が威姫に産ませた趙王如意に代えようとしたところ、そのたびに呂太后や張良ら功臣が嘆願諌止した。前195年、16歳で2代皇帝に就くことができた。在位中、実権は呂太后やその一族に握られていた。諡り名の字「恵」は「相手をあたたかく思いやる」の意味である。これは前191年に秦の苛酷な律である「挟書の律」を除いたことによる。図書館史で焚書は習うが、廃止した恵帝の事績を教えないのはいかがなものなのだろう。恵帝とはほんとうに影のうすい存在である。ところが中国ドラマ「美人心計」では羅晋演じる恵帝はなかなかのイケメンで暗愚にはみえない。恵帝が暗愚だったとするのは日本の東洋史学者だけの印象かもしない。
さて「盈」という漢字であるが、現在の日本では常用漢字表、人名漢字表にはなく、名前としては使われなくなった。もちろん明治以前の人物ならば、柳生宗盈(やぎゅう むねみつ)、毛利就盈(もうり なりあつ)と探せばいる。元巨人の投手、角盈男は1990年から登録名に改名したもので、本名は角三男である。会社名や学校名には使用例はある。広島の盈信高校など。
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