樺太地名考
文化5年のこの日、間宮林蔵は幕命によって、松田伝十郎に従って樺太探検に出発した。
サハリン島は1643年、フランス人デフリースが発見したが、北海道の一部と誤認した。その後、探検したロシア人も沿海州(プリモルスキー)に続く半島と誤認した。地名サハリン(Sakhalin)は、満州族がアムール川につけた名「サハリャン・ウラ」(黒い川)を、ロシア人がその河口にある半島(?)の名と誤認したため生じたものである。この原名がロシア語化されたサハリンとなった。日本でははじめカラフト、のち一時「北蝦夷(きたえぞ)」と呼ばれたが、江戸時代末にはふたたびカラフトあるいはサガレンと呼ばれた。カラフトには唐人、柯太などの字もあてられたが、明治2年、「樺太」の漢字が正式な地名と定められた。明治38年ポーツマス条約により北緯50度以南をロシアから割譲された。昭和20年まで日本の領土として日本地名が作られた。主要な旧樺太地名とその読みを記す。
古屯 ことん ポベディノ
上敷香 かみしくか
敷香 しくか ポロナイスク
栄浜 さかえはま スタロドブスコエ
川上炭山 かわかみたんざん シネゴルスク
豊原 とよはら ユジノサハリンスク
大泊 おおどまり コルサコフ
留多加 るうたか アニワ
真岡 まおか ホルムスク
久春内 くしゅんない イリインスキー
本斗 ほんと ネベリスク
内幌 ないほろ ゴルノザヴォーツク
知取 しろとる マカロフ
元泊 もととまり ヴォストチヌイ
落合 おちあい ドリンスク
恵須取 えすとる ウグレゴルスク
泊居 とまりおる トマリ
野田 のだ チェーホフ
本斗 ほんと
吐鯤保 とこんぼ
気主 けぬし
{地名の読み変更}知取は昭和2年は「しりとり」であったが、昭和16年に「しるとる」と読み変更。近幌は昭和2年は「ちかぽろ」であったが、昭和18年に「ちかほろ」と読み変更された。大鵜取は昭和5年は「おおうとり」であったが、昭和16年に「おおうとる」と読み変更。
納谷幸喜(横綱大鵬)は昭和15年、樺太敷香町に生れる。(4月13日)
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