太田道灌、江戸城に入る(1457年)
長禄元年(1457年)のこの日、扇谷上杉家の家臣、太田道灌が武蔵国荏原郡桜田郷(麹町台地の東端)に平山城(のちの江戸城)に入る。太田道灌といえば「山吹の教え」の故事が有名である。道灌が武蔵野で狩りをしていた時のことである。にわか雨にあったので、とある民家で雨具を貸してほしいと頼んだところ、家の中から出てきた少女は無言で、山吹の一枝をさしだした。道灌は少女の真意がわからなかった。あとで古歌「ななえ八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき」(「後拾遺集」兼明親王)に託して「実の(蓑)」をかけて、貧しきゆえに雨具を貸せないことを詫びた少女の心情を知った道灌は、風雅を解することができなかったことを恥じて和歌の道に励み、のちには武将ながらも名高い歌詠みになった。文明18年(1486年)7月26日、道灌は扇谷家の上杉定正に招かれ風呂場で謀殺された。(4月8日)
太田道灌借蓑図 大槻磐渓
孤鞍雨を衝いて茅茨(ぼうじ)を叩く
少女為に遣(おく)る花一枝
少女言わず花語らず
英雄の心緒(しんちょ)乱れて糸の如し
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「ななえ八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の歌と太田道灌と少女の話は、若い頃に母から聞かされ、心に残っています。その母は先週6月18日に急逝しました。私事ですが…。昨日告別式を終えたばかりで、この「山吹の教え」を読み、母との会話を懐かしく思い出しました。
投稿: イクちゃん | 2014年6月24日 (火) 19時18分