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2024年4月20日 (土)

東京国立博物館で「モナ・リザ展」の一般公開(1974年)

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   昭和49年のこの日、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」が東京国立博物館で公開された。連日超満員の盛況で6月10日までに入場者数は150万人を越えた。展示初日に赤いスプレーを吹きつけようとした女性がいたがすぐに逮捕された。「モナ・リザ」は、この世でもっとも有名な絵画で、またもっとも謎の多い一枚でもあり「3密」がある。たとえば、この絵が描かれた正確な年(推定では1503年から1506年にかけて)、描かれた場所、そしてモデルの名前すらいまだに解明されていない。広く知られているMONNA LISAという呼び名も画家自身がつけたものではなく、16世紀の美術史家ジョルジオ・ヴァザーリの著書「美術家列伝」の中に書かれたものである。その著書によればモデルはフィレンツェの有力市民フランチェスコ・ジョコンド夫人のエリザべッタであるとしている。彼女の愛称リサに、女性に対する尊称「モナ」を付けて命名された。「モナ・リサ」を3つのパーツで読み解く。

① 口元

モデルをジョコンド夫人と仮定すれば、幼い愛娘を亡くしたばかりの夫人が黒いヴェールと喪服姿であることは当然のことであろう。しかしなぜ深い悲しみの夫人が口元に微笑みをたたえているのか謎である。

② 眉

当時の女性の眉は美人の条件の一つだった。レオナルドの「白貂を抱く貴婦人」(チャルトリスキ美術館蔵)にも眉があった。そうしたことから「モナ・リザ」にも当初は眉が描かれていたといわれる。歳月の経過により絵の具が風化して眉が消えたといわれる。

③ 爪

「モナ・リザ」は結局、依頼主に渡されることなく、レオナルドが死ぬまで所有していたとされる。手の部分が未完成とされる。最近の赤外線検査によって、最初、爪の部分が描かれていたが、その後、薄く消していたことが新たにわかった。なぜ爪を消したのだろうか。

   レオナルドは完全主義のため、完成された大作はほとんどなかった。(4月20日)

 


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