空海の死はなぜ「入定」というのか
真言宗の開祖、空海は承和2年(835年)のこの日、60歳で高野山で没した。通常僧侶の死は入滅、入寂などと表現されるが空海に限ってはそうは言わず、入定という。本来、入定とは生きて禅定の修行に入っている状態をさし、死とは違う意味合いである。それなのにこのように言われ続けられるのは次のような理由からである。空海死後86年経った時、延喜21年、朝廷より空海に弘法大師という諡号が贈られた。そのことを空海に報告するため、観賢は御廟の石室の扉を開けてみたら、そこには言い伝えどおり禅定をする空海の姿があった。しかも驚いたことに頭には30歳ぐらいの長い髪がはえ、まさしく現在も生きているかのごとくであった。感激した観賢僧正は髪を丁寧に剃りあげて浄衣に着せ替えて身支度を調えて退出したが生きている人と別れるのと同じ思いがして悲しみのあまり涙が止まらなかった。そのことがあって以後は今尚、生きて禅定され続けていられるとの思いで入滅ではなくて入定されていると言われ続けている。(3月21日)
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空海の入寂は入定という意味・・
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月20日 (水) 21時08分
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投稿: leliakp69 | 2017年3月21日 (火) 06時27分
参考までに日本国語大辞典の【入定にゅう‐じょう[ニフヂャウ] の項目では「仏語。禅定(ぜんじょう)の境地にはいること。心を統一集中させて、無我の境地にはいること。また、高僧の死をいう。反対語は出定(しゅつじょう)。」とあります。一般に広く高僧の死を言うのでしょうが、空海の場合は入定のみが使用される、と言うわけですね。
投稿: 小林倉市 | 2024年3月20日 (水) 14時43分