菊池寛忌
昭和23年のこの日、文藝春秋の社長菊池寛が死去。菊池寛は大正5年、芥川龍之介、久米正雄らと「新思潮」を創刊し、「屋上の狂人」「父帰る」などの戯曲、創作「無名作家の日記」「忠直卿行状記」などによって、一躍作家として世に認められた。近年も横山めぐみ主演のテレビドラマ化で「真珠夫人」がブームになったことが数年前にあった。原作は半世紀以上も前のもので、大正期の上流社会や富豪階級の家庭を背景に、第一次世界大戦後の市民社会の状況や風俗、流行を盛り込み、その中にヒロインの瑠璃子の激しい生き方を描いたものである。大正デモクラシーの時代思潮がうかがえるが、このような大時代の風俗小説が現代に何故か受けてヒットした。菊池寛はこの「真珠夫人」の成功により「貞操問答」「有優華」など多数の風俗小説を残している。小島政二郎(1894-1994)も戦前から戦後にかけて「人妻椿」などの多くの通俗小説で長い執筆活動であった。舟橋聖一(1904-1976)も戦後は「雪夫人絵図」などの愛欲小説で人気作家となった。丹羽文雄(1904-2005)はマダム物と呼ばれる風俗小説がある。そして丹羽は評論家・中村光夫と「風俗小説論争」を展開した。風俗小説と通俗小説、あるいは中間小説と区別はあいまいであるが、戦後における石坂洋次郎、梶山季之、源氏鶏太、井上靖、渡辺淳一などの圧倒的成功例の証明によって、中間小説は新聞や雑誌などのメディアの花形のジャンルとして隆盛しているといえる。(3月6日)
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