男装の麗人・川島芳子、銃殺刑(1948年)
清朝復辟のため日本軍のスパイとして活躍し「東洋のマタハリ」と呼ばれたた川島芳子は歴史上では昭和23年3月25日、北平第一監獄の刑場で銃殺刑にされたことになっている。だが死んだのは替え玉で、川島は処刑を免れて30年近く生きていたとする生存説がある。新証言によると吉林省で1978年まで生存していたとする。戦後育ちにとっては川島芳子はどのような人物かあまりなじみがない。川島芳子は満州王族の血をひくれっきとした中国人である。軍部のためにスパイとして満州事変から満州建国にかけての時期に活躍した。とくに天津に蟄居していた溥儀の皇后・婉容を説得して満州に引き戻したといわれる。だが芳子の諜報活動の詳細な実態はなく、小説・映画などの虚構によるところが大きい。現実には上海の社交界で男遊びに明け暮れていただけだろう。
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溥儀の妻婉容の字は慕鴻です。
投稿: 三上参次 | 2024年3月25日 (月) 16時27分
ご指摘のとおりです。訂正しお詫びします。
投稿: ケベル | 2024年3月26日 (火) 04時01分