鍋島騒動
肥前の領主龍造寺氏の執権で、その姻戚でもあった鍋島直茂は豊臣秀吉と通じ、龍造寺隆信が死んで長子政家の代になると実力は政家をしのいだ。天正政変は領地を直茂にゆずり、子高房の後見を託して隠退したが、やがて高房は22歳で自殺した。のち高房の子孝明は、この経過に怪事件があったとして江戸幕府に龍造寺家再興を訴えたが果たせなかった。怪事の確証はないが、この事件が「鍋島の化猫騒動」として巷間に流布したのは、歌舞伎・講談の脚色による。
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肥前の領主龍造寺氏の執権で、その姻戚でもあった鍋島直茂は豊臣秀吉と通じ、龍造寺隆信が死んで長子政家の代になると実力は政家をしのいだ。天正政変は領地を直茂にゆずり、子高房の後見を託して隠退したが、やがて高房は22歳で自殺した。のち高房の子孝明は、この経過に怪事件があったとして江戸幕府に龍造寺家再興を訴えたが果たせなかった。怪事の確証はないが、この事件が「鍋島の化猫騒動」として巷間に流布したのは、歌舞伎・講談の脚色による。
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