岸壁の母
昭和28年のこの日早朝、中国からの帰還第一船「興安丸」が2009人を乗せて雨の舞鶴港に着いた。ほとんどの引き揚げ者の帰国第一声は「家と仕事と一部の冷たい目が心配です」と、喜びより不安をうったえるものが多かった。岸壁では、日本語の話せない孫にとまどう祖父母は、夫が再婚していたことを知らず出迎えた妻など、長い空白がもたらした悲喜こもごも人間ドラマが展開された。この日は続いて、第二船の「高砂丸」が1945人を乗せて入港した。(3月23日)
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