へそくり
山内一豊(1545~1605)は織田信長に仕え、元亀元年(1570)の金ヶ崎退去のさい功を挙げて、翌年秀吉に配属される。以後、山崎合戦、賤ヶ岳合戦、小牧・長久手の陣などに従軍。天正13年には近江八幡山に配された秀次付きの老臣となり、近江長浜二万石、天正15年従五位下対馬守に叙任。天正18年小田原攻めの後の知行割で秀次が尾張清洲城に移されると、遠江掛川五万石の城主となる。この間、ずっと秀次の老臣の地位にあったが、文禄4年の関白秀次失脚には連座しなかった。 関が原の戦いでは東軍に属し、下野小山会議で東海道筋の掛川城を徳川家康に明け渡すと発言、家康を喜ばせた。戦後、土佐一国二十万石余を与えられ、高知城を築いて居城とした。一豊の妻の名は「千代」とも「まつ」ともいわれるが、定かではない。一豊死去の翌日、妙心寺の単伝士印より見性院(1557-1617)の法号を受け、京都桑原町に閑居した。一豊の妻といえば、内助の功の見本として知られる。織田信長が閲馬するさい、こっそり貯めていた「へそくり」十両をさしだして名馬を買った話は有名である。「へそくり」をするには、いろいろな方法がある。昔の人は「綜麻(へそ)」といって、つむいだ糸をつないで環状に巻いたものを作るのを内職仕事にした。そうして貯えたお金が「へそくりがね」だ。一豊の妻は、どれだけの「綜麻」をつくったことだろう。
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投稿: ミリオン | 2024年2月 9日 (金) 09時46分