唐賽児の乱
明初の1420年、山東で唐賽児の乱が起きる。彼女は若い頃から仏教に帰依し、夫の死後は白蓮教的な妖術を身につけ、尼僧となってみずから仏母と称し、その信徒は数万に達した。その勢力の拡大を恐れた官憲は彼女を捕らえようとしたため、ついに民衆を率いて蜂起した。山東各地で信徒、農民がこれに呼応して反乱に参加した。3ヶ月後にようやく鎮圧された。しかし唐賽児の行方はわからず、ついに彼女を捕らえることはできなかった。彼女の捜索のために、北京の尼や天下の出家した婦人が逮捕され、その数は数万人に及んだという。また、伝説によれば、唐賽児はいったん捕らえられた、斬にあったが刃が体に入らず、獄につながれたが鎖が自然に解け、逃れ去ったといわれている。参考:「唐賽児の乱始末記」古田敬一著 汲古書院 2003年
最近のコメント