女性雑誌の日
雑誌の休刊・廃刊が相次いでいる。近年はインターネットの普及で雑誌の愛読者が減少し、出版社は経営難で存続の危機にある。お宝鑑定団で週刊テレビガイドを創刊から収集している人がいた。テレビ番組表などは一般には放送が済めば無価値に等しいが、テレビ史を研究する者には一級資料であろう。コレクションとしては、あまり経済的負担なしにユニークなコレクションができるであろう。ただし現在のように多チャンネル時代になり再放送ばかりとなって、テレビ番組表を保存する価値があるや、なしや、意見の分かれるところであろう。
本日は「女性雑誌の日」。1693年のこの日、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌「ザ・レディズ・マーキュリー」が創刊された。日本では明治17年、婦人雑誌「女学新誌」が最初である。翌年「女学雑誌」が出た。続いて明治20年「以良都女(いらつめ)」、徳富蘇峰の明治25年9月25日創刊の「家庭雑誌」が有名である。内容は男性目線の「家庭」と「良妻賢母」である。明治44年平塚らいちょうによって「青鞜」が、大正5年に「婦人公論」が出された。これらは女性の地位の向上と女性解放を目的としていた。こうした流れに対して、明治41年に羽仁もと子が「婦人之友」を創刊し、新しく家庭生活の改善など実用性を前面に打ち出して成功したのが明治43年創刊の「婦女界」であった。以後、大正6年に「主婦之友」、大正9年に「婦人倶楽部」が創刊された。戦後、女性誌の普及は一般雑誌をしのぐほどになる。昭和45年に創刊した女性ファッション誌「an・an」。雑誌名の由来は、当時ロシアのモスクワ動物園にいたパンダ「アンアン」からとった。なぜパンダの名前が雑誌名になったかというと、当時an・an編集部のスタッフが、黒柳徹子からはじめてパンダという動物の存在を知らされたから。「ロシアにパンダという動物がいて・・・」と黒柳の話を聞いて感銘を受けたことから、雑誌のタイトルを「an・an」に決めたという。(2月27日)
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