造幣局の設置(1869年)
明治2年2月5日、太政官に造幣局が設置される。由利公正の考えで工場は大阪の西成郡川崎村(現北区天満)に建てられた。東京でなく大阪にした理由には、淀川による水運の便があったからだが、実情は複雑だった。新政府は、関西商人に御用金調達の面で多大の世話をうけており、三井や鴻池らは政府の財政機関の実務の中核に入り込んでいた。由利は、その点から土地選択に配慮を強いられた。
« 立春の卵 | トップページ | 多民族国家シンガポール »
« 立春の卵 | トップページ | 多民族国家シンガポール »
明治2年2月5日、太政官に造幣局が設置される。由利公正の考えで工場は大阪の西成郡川崎村(現北区天満)に建てられた。東京でなく大阪にした理由には、淀川による水運の便があったからだが、実情は複雑だった。新政府は、関西商人に御用金調達の面で多大の世話をうけており、三井や鴻池らは政府の財政機関の実務の中核に入り込んでいた。由利は、その点から土地選択に配慮を強いられた。
« 立春の卵 | トップページ | 多民族国家シンガポール »
コメント