マダガスカルの歴史
アフリカ大陸の南東、インド洋西部に位置する島としては世界第4位の面積を持つマダガスカル島。この島には、約2000年前からインドネシアと東アフリカの船乗りたちがカヌーに乗って移住してきた。インド洋は中世初期にインドネシア人とインド人によって盛んに航海が行われており、現在の住民構成にもその跡を残している。9世紀からはアラブのイスラム教徒がアフリカ東海岸にも移民していた。南東岸では彼らは先住民、特にアンテモロ族と混血していった。北西岸にはいくつかの大きなアラブ植民地があり、アノロツェンガナ、マジュンガその他の港を支配し、その固有の風俗を保持していた。17世紀初めのおもな王国はアンテモロ、アンテサカ、ベツィレオ、ならびにメリナであったが、いずれもまだ小地域を支配するにすぎず、メリナ族はタナナリブ周辺を支配するだけであった。18世紀の末にはアンバリアナムボイニメリナ(在位1787-1810)という英雄が現れ、分裂していたメリナ王国を統一した。しかし19世紀になるとフランスからの攻撃を受け、やがてメリナ王国は衰退の道をたどる。1897年2月28日フランスはマダガスカルを占領し、メリナ王国の最後の国王ラナヴァルナ2世は退位した。ライニライアリヴニ首相はアルジェへ追放され、同年没した。1946年までフランス植民地であり、58年までフランス連合内の海外領土。それ以後はフランス共同体に属する一国となった。1960年6月26日マダガスカル共和国として独立する。フィリベール・ツィラナナが初代大統領となった。
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