ハーグ密使事件(1907年)
1905年の第2次日韓協約によって、韓国は日本に外交権を接収され保護国とされた。1907年、オランダのハーグで開催中の万国平和会議に排日派が皇帝の密約を送り、日本からの独立を提訴した。しかし会議参加を拒否されて成功しなかった。この事件で皇帝は譲位、第3次日韓協約を締結。韓国軍隊は解散させられ内政権は総督府の監督下におかれ、後に韓国併合条約が締結さけた。
« クロエ・グレース・モレッツを知っていますか? | トップページ | 神武天皇と金鵄 »
「世界史」カテゴリの記事
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
- ハーグ密使事件(1907年)(2024.02.10)
最近のコメント