皇女和宮と天璋院篤姫
文久2年のこの日、将軍徳川家茂と皇妹・和宮との婚礼が行われた。政略結婚にもかかわらず、家茂と和宮は仲睦まじく暮らすが、家茂はその4年後に病死、和宮は21歳で未亡人となる。このとき江戸城大奥を完全に支配していた人物は、天璋院篤姫であった。篤姫は薩摩藩から13代将軍家定に嫁ぎ、家定の死後は14代将軍の家茂を補佐する。皇家から嫁いだ和宮と初めて対面した際、篤姫は上座に座り、菌(しとね)の上に着座したのに対し、和宮は下座に座らされ、しかも菌がなかった。和宮はこれを屈辱に感じ、以後2人の間には確執が生れた。だが、徳川家が窮地に立たされると、それぞれの立場から、官軍に江戸攻撃の中止と徳川家の存続を訴えかけた。和宮は「公武一和」の旗印のもとで、姑である天璋院篤姫とともに、徳川宗家を守り抜くことに婦道を全うした。女の一分を貫きとおした二人である。(2月11日)
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