青葉の笛
元暦元年のこの日、一ノ谷の合戦で平家敗れる。須磨・一ノ谷の合戦で平家が負けたので、源氏方の熊谷次郎直実は、海へ逃げていく平敦盛を呼びとめ、組み伏せて首をとろうとした。ところが少年であったので、たすけようとしたがそれもならず、泣く泣く首を斬った。首を包もうとして、鎧直垂を解いてみると、錦の袋に入れた笛が腰にさしてあった。
直実は「さては、この夜明けに、城の中で管弦の音が聞こえていたのはこの人たちであったのか。東国勢何万騎のうち、軍陣に笛を持ってきている風雅者はよもやあるまい。さすが平家の公達は風流なものだ」と思い、義経に笛を見せたところ、涙をしぼらぬものはなかった。直実は人生の無常を悟って出家したという。
ところで『平家物語』では、敦盛の笛を「青葉の笛」とはとくに記していない。だが現在、神戸市の須磨寺の寺宝に、青葉と称する笛がある。寺伝によれば16世紀初めごろから敦盛の笛として世間の注目をあつめていたという。敦盛秘蔵の笛を青葉とする伝説は江戸期に定着したものかと考えられる。なお唱歌「青葉の笛」は、1番は平敦盛のことを歌い、2番は薩摩守忠度のことを歌っている。(参考:『日本の伝奇伝説大事典』の項目「青葉の笛」大津雄一執筆)2月7日
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