天徳四年・内裏炎上
村上天皇のとき、天徳4年9月23日、平安宮の内裏は、大規模な火災にみまわれた。火は午後10時から4時間ほど燃え続けられたらしく、八省院への延焼は免れたが内裏の建物は全焼した。清涼殿に寝ていた村上天皇は紫宸殿の後方で人々の走り叫ぶ声を聞いて驚いて起き、何事かと問うている。そこへかけつけた少納言藤原兼家が、目下左兵衛陣が焼けていて、もう消すことができそうにありません、と答える。天皇はこの火事で廷臣的に衰弱され7年後に42歳の若さで崩御している。1987年の考古学の発掘調査で火事があったことを示す10世紀後半の土器・瓦などが多数発掘されている。
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