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2023年12月23日 (土)

師走雑感

 去年今年貫く棒の如きもの(虚子)

 年去り年改まることに一喜一憂を託した時代もすでに過ぎている。去年も今年もいまは変わりがないのである。ただ一本の棒が貫くように、そこに変化なく過ぎてゆく歳月の一日一日であるにすぎない、という老いの述懐が感じられる。今年もあと8日となり、さらに特別の哀感がただよう。クリスマス、年末恒例のレコード大賞や紅白歌合戦ももうすぐ。テレビ・新聞では2023年の回顧の論評がさかんにおこなわれる。ヒット曲はYOASOBI「アイドル」、三山ひろし「北海港節」、小説では村上春樹「街とその不確かな壁」、凪良ゆう「汝、星のごとく」。流行語は「アレ(A・R・E)」。

  12月を師走と当てる。なぜ「師走」というのか古来より諸説ある。12月は1年の終わりで皆忙しく、師匠といえども趨走(すうそう=ちょこちょこ走るの意)するというので「師趨」となり、これが「師走」となったとする。第2の説は、師は法師の意で、師が馳せ走る「師馳月」(しはせづき)であり、これが略されたものとする。第3は、漢語「歳終月」を「としはるつき」と読み、それが略されて「しはつ」となったとする新井白石の説がある。第4は、「し」は年を意味し、「はす」を「果つ」と解する説。

    「十二月」を「しはす」と読むことは、万葉集の時代にあったもので、「師走」を書いたのは平安時代になってからである。「師走の月夜の、曇りをなくさし出でたるぞ」と源氏物語総角に見える。「奥義抄」(平安後期の歌学書)には「十二月、僧をむかえ経を読ませ東西に走る故に師走というを誤れリ」とある。師走とは本来、極限という意味があったようである。

 

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