門松の由来
正月に玄関に松の葉を飾ったり、門松をたて祝うのは何故か?現代でも多くの家庭が飾る門松は、「正月に吉方から来臨して年中の安全と豊年とを約束する神」、穀霊でもあり祖霊でもある年神が降りてくる依代(よりしろ)として本来は立てられたものである。榊、竹、杉、楢などいろいろな樹木が用いられたが、次第に松に統一された。門松は平安時代から正月の民家に飾られるようになっている。歌道家六条家の始祖、藤原顕季(ふじわらのあきすえ)の「門松を営み立つるその程に春明がたに夜や成ぬらん」(「堀河院百首」)や藤原信実(ふじわらののぶざね)の「今朝はみなしづが門松たてなべていはふことぐさいやめづらなる」(「新撰六帖」)という歌にも見える。『年中行事絵巻』にも家の入口に、門松の立った光景が描かれている。
門松の竹が斜め切にそぎおとされているのはなぜか?門松の竹はもともとは寸胴型であったが、三方ヶ原の戦いに敗れた徳川家康が、次は斬るぞという念を込めて「そぎ」(斜め切り)が始まった。この風習が江戸期に民衆にも広まった。
しかし門松の風習が全国的に広まったのは明治になってからである。文部省唱歌に「松竹立てて門ごとに祝う今日こそ楽しけれ」と全国の児童に歌わせたからであろう。家の入口に松を立てる、それも左右そろえて二本立てるというのは、大昔からの風習ではない。宮中には今でも門松はないし、富山や大阪でも立てない。家風として自分のところは立てない、という家もある。(参考:「本郷№5」1996.1、吉川弘文館) 1月1日
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