ローマのカタコンベ
キリスト教は東方で確立したが、早い時期にローマに伝えられたのを別にすると、西方世界では3世紀まであまり受け入れられなかった。ローマ皇帝ネロは64年ローマ市の大火の原因がキリスト教徒であるとし確証のないまま多数のキリスト教徒を処刑した。ドミティアヌス帝は、ネロと同じようにキリスト教を迫害し、デキウス帝が250年に勅令を出して、迫害を行った。258年8月6日、ローマ皇帝ウァレリアヌスは第24代ローマ教皇シクストゥス2世がカタコンベで儀式中のところを捕らえて、その場で斬首したと伝えられる。ウァレリアヌスによる迫害のため、ヤヌアリウス、ウィンケンティウス、マグヌス、ステファヌス、ウェリキシムス、アガピトゥスら6人の助祭も共に殉教した。シクストゥス2世の墓は現在もサン・カッリストのカタコンベにある。 カタコンベとは帝政ローマ時代のキリスト教の地下墓所のことで、キリスト教が弾圧されていた時代に、信徒たちが地下に秘密の墓や礼拝所をつくったものである。ギリシア語のカタ・キュンバスに由来し、道路がそこを横断し、あるいは奥に通ずる自然の空洞わ意味したようである。ローマ周辺には大きいものでも40数カ所のカタコンベがあり、総延長はじつに560キロに達し、そのうち古い四つカタコンベ、カリスト、セバスチィアノ、ドミティラ、プリスキュラは、いずれも2~3世紀に由来する。
サン・カッリストのカタコンベはローマの南のサン・セバスティアーノ門を起点とするアッピア旧街道に沿った場所にある。中に入ると墓所は地下4層からなり、全長10㎞以上の通路は迷路のように延びている。約10万人以上の人が葬られているが、最も注目すべき地下室墓は「教皇の地下室墓」である。3~4世紀、初期のローマ教皇12人の遺体がここに葬られている。最も古いのが第19代教皇ポンティアヌス(在位232-235)。20代アンテルス(235-236)、21代ファビアヌス(236-254)、23代ルキウス(253-254)、24代シクストゥス2世、25代ティオニュシウス(259-268)、26代フェリクス1世(269-274)、27代エウティキアヌス(275-283)、28代カイウス(283-296)、31代エウセビウス(311-314)、32代ミルティアデス(311-314)、そして第37代教皇ダマスス1世(366-384)である。キリスト教徒にとって最も聖なる教皇の墓が存在するこの地下室墓は、1854年デ・ロッシによって発見されたが、長い年月をかけて名前を確認することができたといわれる。(Catacombe di San Calisto,Pontian,SixtusⅡ,De Rossi、世界史)
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