無料ブログはココログ

« 女心と秋の空 | トップページ | 人名研究(スポーツ) »

2023年10月17日 (火)

川端康成「雪国」

Img_0001_2

 1968年のこの日、川端康成は日本人としては湯川・朝永博士に次いで3人目のノーベル賞を受賞する。川端がノーベル文学賞を受賞したニュースは当時、明るい話題として大きく取り上げられた。対象作品は「雪国」「千羽鶴」「古都」と、短編「水月」「ほくろの手紙」などであったが、なかでも「雪国」は広く読まれた作品だった。

   国境の長いトンネルをぬけると雪国であった。島村は年の暮れの寒さのなかを女に会うためにやって来たのである。無為徒食の島村は、ともすれば失いがちな自身に対するまじめさを呼びもどすために、この春、一人で国境の山々を歩きまわり、山をくだって、たまたま泊まった温泉宿で駒子と馴染んだ。駒子は三味線と踊りの師匠の家にいた娘だったが、今度は芸者になって出ていた。頬を染めて懐かしそうに島村の手をにぎる駒子に、島村は来るべきところへ来た思いがするのだった。駒子はからだをぶつけるように、しげしげと彼に会いに来た。ついには朝がきても帰らず、師匠の家にいる葉子に三味線を持ってこさせて、島村のまえでさらったりした。駒子の三味線は文化三味線譜で習ったものだが、山峡の自然を相手に稽古したその撥の音は、どこまでも強く、冴えかえり、聞きほれる島村の心に孤独な女のひたぶるな純粋さが、せつなくしみ通るのだった。駒子には夫婦になるはずだった師匠の息子がいた。彼は病気で、駒子が芸者に出たのも、その病気の費用を出すためだった。島村が東京へ帰るとき、駅まで送った駒子のもとへ、葉子が息子の急変を知らせてきたが、駒子は葉子を追いかえし帰ろうとしなかった。葉子は息子を愛していた。

   三たび女をもとめて島村がやって来たのは、秋だった。細かい羽虫や蛾の飛び回る部屋で、駒子は激しく島村の胸に身を投げかけた。このまえ駅まで送ってきた駒子が、とうとう師匠の息子の死に目にも会えなかったらしいことを知った島村は、駒子をさそって息子の墓へ参った。墓には葉子がいて、燃える目で刺すように二人を見た。駒子は宿へ呼ばれさえすれば、島村の部屋へ寄っていった。そんなことが狭い土地のうわさになれば、身を滅ぼすと知りながら、駒子は「それでいいのよ。ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから」と、顔を赤らめるのだった。駒子は「あの子を見てると、行く末私のつらい荷物になりそうな気がするの」と島村に言った。葉子はその駒子を島村のまえで憎いと言った。かとおもうと、「よくしてあげて」と真剣にたのむ。「私を東京へ連れていって」とも言うのだった。

   ついに雪の降る季節がきた。ある晩、映画をやっていた繭倉から火が出た。自動車で偶然そこを通りかかった島村と駒子は、逃げおくれた葉子が失神したまま低い二階から落ちるのを見た。夢中で駆けよった駒子は、芸者の長い裾を引いて葉子を抱きかかえると、「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と叫ぶのだった。それが島村には、駒子が自分の犠牲か刑罰かをいだいているように見えた。(引用文献:友野大助「日本名作事典」平凡社、10月17日)

« 女心と秋の空 | トップページ | 人名研究(スポーツ) »

日本文学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 女心と秋の空 | トップページ | 人名研究(スポーツ) »

最近のトラックバック

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30