日露戦争沙河(さか)会戦起こる
明治37年8月の遼陽会戦で、日本は橘周大中佐が壮絶な死を遂げた。そして10月9日、ロシア軍は本渓湖の日本軍に対して攻撃を開始し、沙河の会戦の火蓋は切って落とされた。圧倒的なロシア軍の前に、日本軍は死傷者2万余をだす消耗戦となる。当時、外国では沙河会戦は日本の敗北と伝えられていた。
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