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2023年10月21日 (土)

トラファルガーの海戦

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   英仏両国は、1802年にアミアンで和約を結んでいたが、1804年5月にウィリアム・ピットが首相に返り咲き、彼の提唱で第3次対仏大同盟が結成された。一方のフランスも、皇帝ナポレオン1世がスペインと同盟を結んだため、英仏両国の対立は再燃していた。

 

    ナポレオンは、イギリス本土上陸を計画し、フランス・スペイン連合艦隊司令長官のピエール・ヴィルヌーヴ提督にスペインのカディス港からの北上を指令した。この機会をとらえたホレーショ・ネルソン率いる27隻のイギリス地中海艦隊は、1805年10月21日、午前11時ごろから33隻のフランス・スペイン連合艦隊と戦闘を開始した。ネルソンの型破りな戦法と見事な砲撃に、フランス・スペイン連合艦隊は動揺した。

   ところが、午後1時15分ごろ、フランス狙撃兵が撃った弾丸がネルソンの肺を貫いた。瀕死のネルソンは部下の手により船内の治療室に運ばれた。しかし、彼は、3時間ほど生きながらえたものの、午後4時30分ついに息を引き取った。ちょうどそのころ、イギリス海軍の勝利が確定、33隻のフランス・スペイン連合艦隊のうち、残ったのはわずか6隻だけだった。対するイギリス艦隊はすべて無傷でまさに圧勝だった。

    ネルソンの死去により、イギリス国民は意気消沈したものの、トラファルガー海戦での勝利は、イギリスの海軍力をあらためてナポレオンにみせつける結果となる。そして、英本土上陸作戦を撤回させ、のちの大陸封鎖令へとつながっていく。

   翌年、ネルソンの遺体は王族以外では初の国葬で野辺送りされ、セント・ポール寺院に埋葬される。

ネルソンが残した名言の一つ。「私の人生における成功のすべては、どんな場合でも必ず15分前に到着したおかげである」

(Horatio Nelson,Trafalgar)

 

 

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