紅茶と産業革命
11月1日は「紅茶の日」。ある調査によると、コーヒーや紅茶、嗜好品を好む人は高所得者ほど飲む量が多いという話だ。コーヒーと紅茶、日本に伝来したのは、どちらが先だろうか?答えは、ほぼ同じころだそうだ。
コーヒーは世界で最も多くの国で飲用されている嗜好飲料である。喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ)は近代社会において人々が情報を得る場所として文化的にも大きな役割を果たしてきた。日本には天明年間(1781年~1788年)頃に、長崎の出島にオランダ人が持ち込んだといわれる。ところが産業革命を経てイギリスが世界を制覇する19世紀に入ると、砂糖の消費量は爆発的に増加した。18世紀以降、コーヒーにかわってイギリス人は紅茶を好んで飲むようになった。イギリス貴族の間でアフタヌーンティーの習慣が流行しだしたのは、およそ200年前からだといわれています。一説にはアンナ・マリア・ラッセルというヴィクトリア女王の側近も務めるほどの地位になった公爵夫人のアイデアともいわれています。またそれは産業革命の進展と関係する。産業革命による人口増加でミルクの供給が追いつかなくなり、その代用品として輸入した紅茶が飲まれるようになった。また紅茶の普及には、会社の経営者が勤勉な労働者を必要としたため、アルコールにかわる飲み物として奨励したこともあげられる。パブ(ビール)、コーヒーハウス(コーヒー)、ティールーム(紅茶)は、各時代において、イギリス人にとって社交の場であったり、ビジネスの場であったり、娯楽の場であつたりと、多様な役割を果たしてきた。イギリスの社会経済の発展の裏にはこれら3つが様々なかたちで関係してきた。
NHK「ひるブラ」(2012年2月1日放送)で、はしのえみが幕末の弘前藩士が飲んでいた珈琲を味わっていた。酸味と苦味がある。寒さなどで殉難が多かったので薬用として珈琲を飲んでいたという。大田南畝は1804年に珈琲を飲んだときのことを次のように記している。「紅毛船にてカウヒイというものをすすむ。豆を黒く炒りて粉にし白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪えず」とある。1855年ころ青森県弘前で珈琲が飲用されていたとは驚きである。
紅茶は1791年11月1日、大黒屋光太夫がロシアのエカテリーナ2世から茶会に招かれ、日本人として初めて紅茶を飲んだとされる。日本紅茶協会は、昭和58年、この史実をもとに、11月1日を「紅茶の日」に制定している。
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