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2023年10月 3日 (火)

古代の朝鮮半島 (古朝鮮・高句麗・三国時代)

 本日は韓国では「開天節(ケチョンジョル)」が祝われ、会社や学校はお休みです。高麗時代に編まれた「三国遺事」によると、帝釈桓因の子、桓雄と熊女との間に生まれた檀君王倹が紀元前2333年のこの日に平壌城を首都とする国を建てて国号を朝鮮としたのが国家の始まりと言われている。1993年、北朝鮮は檀君陵を発掘したと発表しているが、その信憑性はなく、考古学的知見によれば、京畿道漣川郡全谷里遺蹟から、30~40万年前の前期旧石器遺跡が発見されている。紀元前3000年ごろから櫛目文土器が多数発見されている。前1500年ごろ、青銅器文化の時代に入っていた。日本では縄文文化であった時代の前10世紀以降の遺跡から炭化米が出土することから、朝鮮半島では本格的に農業生産をするようになり、紀元前8~前7世紀ころ水稲栽培が始まり農耕社会へ転換していったと考えられる。古代国家の成立は、紀元前7世紀頃の箕氏朝鮮からはじまる。箕氏は紀元前4世紀には燕と互いに争うほどに成長したが、紀元前2世紀はじめに衛満に滅ぼされる。衛氏は80余年にわたって繁栄したが、紀元前108年に漢の武帝の侵入を受けて滅亡した。通常、箕氏朝鮮と衛氏朝鮮の2王朝を合わせて古朝鮮と呼ぶ。その後、古朝鮮の遺民は各地で小国を興し、紀元前紀57年には辰韓の6つの小国の一つ、新羅が誕生した。紀元前37年には鴨緑江の中流地方で力をつけた朱蒙が高句麗の指導権を握って国家体制を再整備し、王となった。紀元前8年には温祚が百済を建国した。高句麗・新羅・百済の三国が競い合っていた313年から676年にかけてを三国時代と呼ぶ。2世紀末、朝鮮半島中南部では馬韓・辰韓・弁韓と総称される部族国家が併立し、北鮮地方には高句麗が興って南下の勢いを示した。ところが、3世紀前半、魏が朝鮮に勢力を伸ばすにおよんで漢時代の楽浪・帯方の2郡を手にいれ、南鮮地方を支配下におさめた。4世紀半ばにいたって百済・新羅が興ると、高句麗を含めた三国の勢力が拮抗する。朝鮮はその後の日本の文化に大きな影響を与えた。邪馬台国はこの魏の後援のもとに南鮮を圧迫し、弁韓地方にはかなり倭人が進出するようになった。(10月3日)

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