達磨忌
池西言水
禅宗の開祖は達磨といわれている。その伝記については不明なところが多いが、今日では実在説が強い。南天竺、あるいは波斯国の人といわれる。520年頃に梁にやってきた。武帝との会見で、仏教興隆を自慢する武帝に「無功徳である」と言いきった、という有名な話があるが、史実とはいいきれない。しかし慧何(487-593)が雪の中を達磨を訪ねて、自らの片腕を斬り落として弟子にしてくれと頼んだという逸話についてはかなり明確な記録がある。慧何は入門を許され、第二祖となった。そして第三祖が僧璨、第四祖が道信、五祖が大満弘忍と牛頭法融に及び、大満の下から玉泉神秀と、大鑑慧能、嵩山慧安らの系統に分かれた。そして六祖の慧能によって中国禅は確立される。慧能の禅は頓悟禅ともいわれ、南の地方で盛んになったので、南宗禅ともいわれ、今日、禅宗といえば、この南宗禅を指すことが多い。日本の曹洞宗、臨済宗も南宗禅の系統である。達磨の没年はわからないが、道元の「正法眼蔵25」によると、達磨の高名を妬んだ菩薩流支が達磨を毒殺したとされる。(10月5日)
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