歌川広重は東海道を旅せずに描いた!?
安政5年のこの日、歌川広重が流行のコレラで没した。享年61歳。ご年配の方は「安藤広重」で呼ぶことが多いが、近年の教科書では歌川派の絵師として「歌川広重」と呼ぶ方が適切だということで、現在では「歌川広重」が一般的な呼び名になっている。
広重の東海道五十三次と東海道名所図会を見比べると、多くの共通点がある。全55点のうち、19枚が東海道名所図会をアレンジしているし、十辺舎一九の続東海道中膝栗毛などからの挿図を含め、半数近くは種本が見つかった。これにより広重は写生をもとにしたのではなく、種本でアレンジすることが知られるようになった。
日坂宿とは金谷と掛川との間の山あいの小さな宿場。明治になって東海道本線が南に通り、元の宿場はさびれ一農村となったが、江戸の面影を遺している。
広重「佐夜ノ中山」は大胆な構図で右端に急坂を描き、山の険しさを強調する。坂下にころがる大きな石は夜泣石。昔、みごもった妻が金谷に住む夫を訪ねて山越しの途中、賊に斬り殺される。胎内の子は観音の化身によってとり出され助かるが、女の恨みは傍らの石にのりうっつて、夜毎に石が夜泣きしたという有名な伝説をもとにしている。(9月6日)
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