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2023年9月17日 (日)

牧水忌

F0048182_13553372    本日は 「白鳥(しらとり)は哀しからずや 空の青海のあをにも染まずただよふ」(第一歌集「海の声」)などの歌で知られる若山牧水(1885-1928)1928年の忌日。43歳。牧水は宮崎県東臼杵郡郷村字坪谷に医師若山立蔵の長男として生まれた。有名な「白鳥は」の歌の初出(明治40年12月号「新潮」)は「白鳥(はくてう)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ」だった。そして第三歌集「別離」では「女ありき、われと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も昼も絶えず歌ふ」という詞書がある。この歌は「波間に漂っている白いかもめ鳥はかなしくはないのか。空も青、海も青、そのまっさおな色にまぎれることなく漂っている姿をみると、何ともいいようのない悲しさがわたしの胸にあふれてくることだ」という通釈であるが、制作状況から判断して園田小枝子への恋愛の哀歓がモチーフになっていると考えてさしつかえないだろう。小枝子という女性は「牧水よりも一つ年上である。生まれたのは瀬戸内海のある海岸町、まことに不思議な両親をもち、まだ何もわからぬ幼女時代に既に幾回となくその戸籍が転々としているような数奇な運命の下に成人した。そして16、17歳ぐらいで結婚し、二人の子供さえもっていたが、胸を病み、家を離れて須磨の療養所に入った経験があった。彼女はそれから家庭にかえらず、明治40年の春あたり東京に出て来たのであるが、彼女は非常に美しかった」(大悟法利雄「若山牧水伝記篇」)とある。園田小枝子の郷里は広島県竹原市忠海と福山市鞆町の二説あるが、幼少期転々としていたのかも知れない。ともかく牧水は24歳のとき、病弱の人妻に恋をし、千葉県安房根本海岸に10日余り滞在し、多くの感傷歌が生まれた。しかしこの恋はうまく行くかず、牧水は大いに悩み5年のちに恋は破局する。

 

小枝子への熱い想いがあらわれた歌

 

「わが小枝子おもひいずればふくみたる酒の匂いのさびしくあるかな」「恋人のうまれしといふ安芸の国の山の夕日を見て海を過ぐ」「山を見よ山に日に照る海を見よ海に日には照るいざ唇を君」「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」

 

(9月17日)

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コメント

若山牧水・・・牧水忌か・・
久しぶりの訪問でした。パソコン不調でしばし魔がきました。また勉強させていただきます。(*゚▽゚)ノ

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