征服王ウィリアム1世のノルマン・コンクエスト
ノルマンディー公のロベール2世は「悪魔公」の渾名を持つ。そのいわれは謎であるが、ある日のこと、彼は狩りの帰りに、小川で洗濯をしていた娘ヘルレブを見初め、彼女を城へ連れ込んだ。そしてその結果にできた子がギヨーム2世(1028-1087)、のちのウィリアム1世である。ギヨームは庶子であった。しかし悪魔公がエルサレムへ巡礼に出かけ、その帰路にトルコで客死してしまったので、家督は幼いギヨームに譲られることになった。わずか7歳でノルマンディー公を相続したギヨーム2世は人から侮られないよう、武芸に励んだ。1066年9月27日、エドワード懺悔王が死に、義弟ハロルドが即位すると、ギヨームはノルマンディー、フランドル、ブルターニュ各地より集めた約6000の騎士を率いてイングランド南部のヘイスティングスに侵入した。ノルマンの征服(ノルマン・コンクエスト)の始まりである。
The Normans conquered England in 1066.
ノルマン人は1066年にイングランドを征服した。
日本でも「入れろ無理矢理(むりやり)へイスティングズ」(1066年)と暗記させられる年号だ。
騎馬攻撃を中心とするノルマンディー公と歩兵密集陣形を得意とするイングランド王ハロルド2世とのあいだに1066年10月14日戦闘が開始された。午後4時頃、ハロルドの目に矢が命中し、ハウスカールの必死の抵抗も甲斐なくハロルドは斬り殺され、イングランドの敗北が決まる。貴族や騎士達が着ていた高価な鎖帷子はことごとく剥ぎ取られ、へイスティングズの戦場には裸の死体が累々と残された。ギヨームはその年のクリスマスにロンドンのウェストミンスター寺院で戴冠し、それよりウィリアム1世として王位に即いた。だから彼の渾名は「征服王」である。1087年、落馬事故で没した。
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