世界地図の歴史
古代の人びとは、自分たちの考える世界像を世界地図として表現した。紀元前700年ころのバビロニアで作られた地図では、地球は円盤状で、天空がこれをおおい、自分たちはその中心に住んでいると考えていた。ギリシア時代にも同じような考えがあり、陸地はオケアノスとよばれる大洋に囲まれ、ギリシア神話の神アトラスがこの天空を支えていると考えていた。しかし、当時の世界はバビロニアの地図と違い、地中海をめぐる国々に拡大されていた。アレキサンドリアのエラトステネスは地球の大きさを推定した。さらにローマ時代にはいると、トレミーはアリストテレスの地球球体説に基づき、経緯線を描いて、世界最初の科学的地図を作成した。その範囲は、地中海沿岸から、イギリス・ドイツ、東はインドまで含まれていた。ただ、世界各地の位置、特に経度を正確に実測することができなかった時代なので、東西方向の経度差が実際よりかなり過大に描かれている。中世ヨーロッパでは西ローマ帝国の滅亡とともに、古代科学も衰退し、円盤状の世界観と聖書の記述にしたがった地図が流布した。TとOを組み合わせたような形の「TO図」がその代表である。
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