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2023年7月 3日 (月)

世界の中心で、愛をさけぶ

9a7a22d7c0e4732497031495c8be91801  「世界の中心で、愛をさけぶ」は、2001年4月20日発行の片山恭一のベストセラー小説である。一説によると紫咲コウの本の帯にある「泣きながら一気に読みました」というコピーが若者たちにブームの火をつけたといわれている。ただ小説の評価としては、初恋の相手が白血病で死ぬというベタな話が「あまりに通俗的」(朝日新聞2003.12.3記事)であり、斉藤美奈子も香山リカら評論家(?)の意見も若者たちは経験が少ないので陳腐な内容であってもそれを新鮮に感じるという程度の評価であった。ところで紫咲コウのコピーの元ネタは雑誌「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事である。「『世界の中心で、愛をさけぶ』は、久々に純粋に物語として楽しめた作品。本屋さんでみつけて、たまには恋愛ものもいいかなと思って。(笑)これは、泣きながら一気に読みました。それに、全体にユーモアもあって、ちょっとしたひとことも面白いんですよ」とある。

   斉藤美奈子や香山リカには、理解できない、あるいは感じとれない部分を紫咲コウは楽しんで読み取っていたようだ。そのベストセラーの謎をライターズ・ジム(見崎鉄)は「謎解き世界の中心で、愛をさけぶ」という本で丹念な作品研究をしていて面白い。単なる便乗本ではない。とりあえず今回はヒロインの広瀬アキを中心にまだ小説を読んでないかたのために紹介しよう。

広瀬アキのプロフィール 風の谷のナウシカに似ている。性格は明るく勉強もできるために男子に人気がある。中学2年で同じクラスになる前からアキは朔太郎(小説の主人公)のことを見ており、彼の音楽の趣味(ロック)も知っていた。だが自分はロックは苦手で聞かない。また、音楽の授業で歌を歌わされたとき声が小さくて恥をかいたことがある。音痴なのかもしれない。小さいころから、ほとんど風邪もひいたことがなかったのに白血病で夭折する。

名前の謎 朔太郎は、つきあって4年近くもたつのに、アキの本名を季節の「秋」だと思っていた。それが間違いだということをアキの死の数日前に知る。本当の名前は「廣瀬亜紀」が正しい。また、彼女自身も自分の名前を「アキ」と片仮名で書いていた。その理由をアキの母は「面倒くさがり屋なのよ」と言っていた。この自分の名前に対する無頓着さを見崎鉄は次のように分析している。

   つまり「廣瀬亜紀」を「広瀬アキ」と簡略化して書くことに、どういう意味があるのでしょうか。普通、人は「広瀬」が「廣瀬」であることに特別さを見出し、面倒くさくても「廣瀬」と書くものではないでしようか。とくに名前にアイデンティティを託している人はそうですし、女性のほうが姓名判断などの占いを信じる傾向が強いから、なるべく正確に書こうとするものです。アキはこの点で変わっています。アキが漢字で「亜紀」と書かなかったために、名前のもつ呪術効果、つまり父親の願いである「白亜紀のように生命が栄えること」が発揮されなかつたのかもしれません。しかし「廣瀬亜紀」という文字はいかにも重い感じがすることも事実です。アキは自分の名前を「広瀬アキ」と書くことによって、両親の託した思いと表意文字としての漢字の二重の重みから自分を解き放ち軽くなりたかったのかもしれません。では、なぜ平仮名で「あき」とせずに片仮名で「アキ」としたのでしょうか。それは片仮名にしたほうが、「本当は漢字の名前だけど省略して片仮名で書いている」という「省略している」感じがよく伝わるからです。平仮名で「あき」と書いてしまうと、それが本当の記名だと誤解されてしまいますが、片仮名のほうがその可能性が少ないと言えます。また、小説として読むときも、平仮名で「あき」という名前でしたら地の文に埋もれて非常に読みにくくなりますが、片仮名でしたら名前がパッと目に入ってきます。アキが名前に頓着しないたちであることをよくあらわしているのが、朔太郎の呼び方です。「朔太郎」という時代がかった名前を大胆に省略して「朔ちゃん」にしてしまいます。アキの頭の中ではたぶん、もっと簡単に「サクちゃん」となっていたことでしょう。アキの名前に対する無頓着さは、彼女がおおざっぱな性格であることを表わしています。アキが深刻にならないことでこの小説は暗さから救われています。

   紫咲コウが指摘する「全体にユーモアがあって」と見崎鉄のいう「アキが深刻にならないことで小説は暗さから救われている」とは共通するものがある。容姿はナウシカに似た少女、透明感(実在感の希薄性)、無頓着さと明るさ、これらヒロイン広瀬アキの性格をうまく表出できたことが成功の要因の一つと考えられる。

 なお映画化に際しては片山恭一の小説では説明不足な部分があるので、脚本家が17年後の朔太郎と藤村律子との結婚を基本にオーストラリアのアキの遺灰をまくというラストシーンを加筆した。律子は当時9歳で、母親が亜紀と同じ病院に入院していて、2人は知り合いになった。手品を教えてもらうかわりに、亜紀の声を録音したテープを高校の下駄箱に入れる約束をした。しかし最後のテープだけは交通事故に遭い渡せなかった。結婚を前に控えて幼少期に育った四国の町へ赴いた。そこである真実にたどり着く。死んだ亜紀のことが忘れられない朔太郎と一緒にオーストラリアへ行って遺灰をまいて、「二人で世界の中心をつくろう」と誓う。

 

 

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