シャルロット・コルデー処刑 (1793年)
革命を推進するジャコバン派の最大の実力者ジャン・ポール・マラー(1743-1793)は、たちの悪い皮膚病に苦しんでいた。1793年7月13日夜7時、ひとりの若い女性がマラーに面会を求めて来た。内妻のシモーヌ・エヴラールは、うさんなものは追い返すことにしていたが、しかし、シャルロットには疑いをもたなかった。地方出らしい娘のバラの頬、そして善良で上品な態度。そのときマラーはいつものように温浴効果のため入浴中だった。(もともとマラーは医者だった)浴室からマラーはこのやりとりを小耳にはさみ、彼女を部屋に通した。
彼女はかねてからマラーに、故郷の陰謀者たちの情報の提供を約束していた。マラーはジロンド派の名前を問いただし、シャルロットはこれに答えた。「よろしい。これで奴らはみなギロチンゆきだ」このことばを聞いたとき、シャルロットは、胸から包丁を取り出して、マラーの心臓を突き刺した。
シャルロット・コルデー(1768-1793)。劇詩人のコルネーユの子孫である貧乏貴族の娘としてノルマンディーに生れた。貴族出身のため、ジャコバン派を嫌悪し、ジロンド派を支持するようになる。シャルロットは7月17日に処刑されることになった。死刑場への護送の途中、道端の人々から罵声を浴びせられ、つばをかけられ続けた。しかし、シャルロットは自分のしたことに誇りを持っていたため、胸を張って、誇らしく微笑みを浮かべて、断頭台の露と消えた。シャルロットは、死の直前に画家をよんで自分の肖像を描かせたため、後世の詩人たちによって「暗殺の天使」とうたわれた。彼女の姿を一目見て、後を追い死刑になった青年さえ現れたという。(Jean Paul Marat,Charlotte Corday)
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