古代エジプトの形成
エジプト文明が誕生し、人びとが定住し農耕を開始したのは、およそ紀元前5000年ごろと考えられている。紀元前4500年ごろにはモーリス湖畔にファイユーム文化が成立し、紀元前4400年ごろから上エジプトの峡谷地帯を中心にナカダ文化が興った。「ナイルのたまもの」ということばのとおり、ナイル川が用水と沃土をもたらしただけでなく、重要な交通路でもあった。ここでははやくから流域に多くの村落が分立していた。古代エジプトには伝統的な行政区が42あり、これを「セペト」(sepet)と呼んでいた。現在、歴史用語としては、ギリシア語の「ノモス」(nomos)という呼び名のほうが知られている。国土を行政区に分割する制度は少なくとも初期王朝時代(前3100年)から存在していた。セペトは、それぞれに守護神をもち、ヒエログリフでは運河の形で表される。これは古代エジプトの地方行政の最も重要な事業はナイル河の治水にあったことを物語る。セペトに関する記録は第4王朝(前2613年)から現れるが、その起源は先史時代末期の小王国群に由来するといわれる。中央政府の衰微した時代には、セペトがしばしば独立国家のごとき観を呈した。いくつもの部族国家が徐々に統合されていくつかの国家が誕生した。先史時代の上エジプトの最初のファラオを現代の学者はスコルピオン1世と呼んでいる。これはサソリの女神セルケトに因んだもので、考古学上のナルメルと同一人物であることが有力視されている。やがて紀元前3千年紀年紀前半、ピラミッド建造の第4王朝を含む古王国、ヒクソク人が支配した第15王朝を含む中王国と、第18王朝から新王国に入る。第18王朝は紀元前16世紀前半から約200年間続いた大王朝で、イクナートン王の、太陽神アトンを唯一神とする一神教の宗教改革で知られる。王の築いた王宮跡テル・エル・アマルナから大量の粘土板文書が出土した。
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