それでも地球は回っている
ヴァチカンの宗教裁判に引き出されたガリレオ ジョゼフ・フルーリ 1846年
1632年2月22日、ガリレオ・ガリレイは地動説の解説書「天文対話」を刊行した。翌年の4月12日には、ガリレオの異端審問が始まった。ローマ法王庁の機密文書館が開設400年を迎えたのを記念し、一般に公開されるようになった。目玉の一つがガリレオが異端審問にかけられた際の裁判記録。ガリレオの署名がはっきりと確認できる。
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)がはじめて望遠鏡を空に向けた時、宇宙の法則はコペルニクスが正しく、プトレマイオスはまちがっていることを確信した。しかし、ガリレオの提示した理論は、いずれも当時において反論の余地ある仮説の域を脱していなかった。1600年にはジョルダーノ・ブルーノが異端として火刑に処せられている。ガリレオもまた宗教裁判において終身の自宅軟禁を言い渡され、2度とふたたびこの問題を取り上げることは禁止された。1633年6月22日、ガリレオに異端判決が下され、「それでも地球は動いている」と呟いたと伝えられる。盲目となってからもガリレオの研究は最後まで衰えることはなかった。1642年、ガリレオは熱病にかかってフィレンチェ郊外のアルチェトリで死んだ。(Galileo Galilei、4月12日)
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名言、格言は名著や有名人の言動にちなんでいる。
「スイスの民主主義は何を生んだ?鳩時計だけだ」
これは「第三の男」のセリフだった。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月11日 (木) 18時09分