イパネマの娘
ブラジルのリオでジャネイロ近郊の海水浴場といえば以前はコパカバーナが有名だったが、1960年代はじめあたりからイパネマ海岸も急にクローズ・アップされるようになった。それは原名を「カロータ・ジ・イパネマ」英名を「ガール・フロム・イパネマ」という曲がビニシウス・ジ・モライス作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン(通称トム・ジョビン)作曲で1962年に作られたからであろう。その初吹き込みと思われるものは1963年3月、スタン・ゲッツによって行われたが、この時、英語の詞も入れたほうがいいということになり、ジョアン・ジルベルト夫人であったアストラッド・ジルベルトが歌い、一躍彼女もスターになった。その彼女も先ごろ亡くなられた。
曲の内容は、イパネマ海岸を腰のリズムもさっそうと歩んでいく、ビキニ姿の美少女エロイーザの姿にまるでロマン派の詩人のような賛辞を捧げている。「この世でもっとも美しい天の贈り物が歩いていく。彼女が歩いているだけで、この世は愛を知りすべてが美しく光輝く」とうたう。ビニシウス(1913-1980)は誰かにいつもより新しい幸福を追いかけることばかり熱心で生涯9回も結婚したという。イパネマの娘のモデルとなった娘は、結婚してエロイーザ・ピニェイロという名前で現在84歳となっている。Heloisa Pinheiro
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