マリア・ルス号事件
明治5年6月7日、横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の231名の清国人苦力が奴隷状態であるとして日本政府が解放した事件。条約未締結国ペルーとの係争については日本の法律があると解し、外務卿副島種臣は大江卓を裁判長に任じ、アメリカ人の日本法律顧問P・スミスの協力を得て、清国人船籍の解放を宣言した。船長の報告でペルー政府は日本政府に抗議したが、ロシア皇帝アレクサンドル2世の仲裁裁判で日本側が勝利した。参考: 「マリア・ルス号事件の再検討」笠原英彦 法学研究69巻12号(1996年12月号) Maria Lus Incident
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