エカテリーナ女帝に謁見した日本人
天明2年の12月、伊勢の白子の浦から、船頭大黒屋光太夫と16人の水夫の乗る1艘の船が江戸に向けて出発した。途中で風雨にあって漂流したこの船は、太平洋を北上し、7日後にようやくロシア領のアムチトカという小島に漂着した。かれらは、はじめは現地人とともに狩猟に従事した。その後、ロシアの保護のもとに、イルクーツクの日本語学校などで数年間を過ごしたが、光太夫はペテルブルグにおもむき、エカテリーナ女帝に謁見して、帰国を嘆願した。ロシアはこれを機会に、光太夫と生き残りの船員たちを松前まで送還するとともに、ラックスマンを使節にして、日本に国交を求めてきた。自分の意志と関わりなく11年間の国禁の海外生活を送った光太夫は、帰国後、幕府役人からきびしい尋問をうけたあと、他人との交流を断つために幕府の薬園に入れられ、その後、34年間もの拘禁状態のままで、78歳の生涯をおえた。鈴鹿市に大黒屋光太夫記念館がある。
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