龍馬、池田屋に行かず
司馬遼太郎の年譜を見ていると、興味あることを発見した。「竜馬がゆく」が昭和37年6月に産経新聞夕刊に連載がスタート、同年11月に「燃えよ剣」が週刊文春で開始している。つまり同時に2つの長編連載を、敵と味方で描き分けていたのである。
大河ドラマ「龍馬伝」第23話「池田屋に走れ」。望月亀弥太が攘夷派の浪士たちと京で会うため海軍操練所を抜け出したことを知った坂本龍馬は連れ戻すために京へ向かおうとする。だが海軍総連所の皆は逃げた者を追っても仕方がないと冷たい。結局、龍馬ひとり京の池田屋へ行くが、時すでに遅く介抱むなしく望月亀弥太は自死する。
坂本龍馬は池田屋事件の直後に現場にいたのだろうか?神戸から京都、坂本の足であれば一日あれば行けるかもしれない。だが坂本も勝も池田屋事件のことを知るのは少したってからのこと。この事件発生時はふたりは江戸にいたらしい。池田屋に集結していた志士の中に、坂本と同じ海軍操練所で学んでいた望月のことが明らかとなり、まずいことになった。今で言えば国立の海軍大学で、反乱学生を養うのと同様である。そのため勝は軍艦奉行を罷免され、海軍操練所もやがて閉鎖される。史実はもちろん坂本龍馬は池田屋には行っていない。
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