名誉革命のはじまり(1688年)
イギリスでは、1688年から89年にかけて名誉革命が起こった。1688年のこの日、ジェームズ2世にかわって、時のオランダ総督オラニエ公ウィレムは、公妃メアリー(ジェームズ2世の娘)とともにホイッグとトーリー両党の招請を受けた。これが名誉革命のはじまりである。のちに1万4000の軍を率いてイギリスに上陸し、イギリスの王位を継承した。ウィレム3世として即位した新王は「人権宣言」を発し、「宗教寛容令」を公布した。ジェームズ2世時代、王を支持する一派をトーリー党(首領ダンビー伯トマス・オズボーン)、議会と非国教徒への寛容を重要視する一派をホイッグ党(首領シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー・クーパー)の両派が争ったが、綱領など明確な物はまだなかった。後にトマスが結成した宮廷党がトーリー党ーと発展する。名誉革命によってイギリスの立憲王政が確立した。
1689年、王妃メアリーと同船してイギリスに帰ってきた一人の哲学者があった。ジョン・ロック(1632-1704)である。彼は「名誉革命の哲学者」として知られ、1690年公けにした「政府二論」の目的は「わが国の偉大な再興者である現在ウィリアムの玉座を確立し、王の正統性を人民の同意のうちに基礎づけること」であった。
ロックの最大の業績は、政治理論家として近代市民社会を支える民主主義的原理を追求した。とくに、近代的な「自由」の観念を明らかにしたことである。「社会における人間の自由は、国家における同意によって確立された立法府の権力以外のいかなる権力にも屈せず、この立法府がみずからに託された信託に従って制定する法以外には、いかなる意思の支配も、いかなる法の拘束も受けないということのうちに存する」(「政府二論」第8章政治社会の起源について)のである。ロックの思想は名誉革命の理論づけだけでなく、アメリカ独立宣言にも影響を与えている。(6月30日、the Glorious Revolution)
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1688年12月29日(ユリウス暦12月19日)イギリス、ホイッグ党、トーリー党らに離反された王ジェームズ2世がオランダの総督ウィリアムに追われてイギリスを離れる(名誉革命(Glorious Revolution)
1689年2月23日(ユリウス暦2.13|イギリス議会がジェームズ2世(7世)の娘メアリー2世(~1694)とその夫でチャールズ1世の孫ウィリアム3世(~1702)にイギリスの共同統治者としての王冠を捧げる
いずれにせよケペル先生の言う1688年6月30日にイギリスの王位を継承した事実は無い。記事掲載の前にせめて年表の確認をしていただきたい。
投稿: 徳五郎とハツエ | 2023年7月 2日 (日) 06時55分