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本能寺の変により堺からの脱出を試みた徳川家康は、摂津国の佃村の庄屋・森孫右衛門から道中食として小魚煮を与えられた。この佃煮を伊賀衆らと一緒に食べて、無事、岡崎城へたどりついたといわれる。以来、家康の佃村への信任は篤く、江戸幕府を開くや、彼らを招き、隅田川下流の中州を与えて厚遇した。正保3年6月29日、佃島に住吉神社が造営され、参拝客に振舞われた佃煮は、全国に広まった。この日にちなんで「佃煮の日」と制定されている。
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