ノルマンディー上陸作戦
1944年6月6日。Dデー(攻撃開始日)、すなわち連合軍の「史上最大の作戦」によるフランスのノルマンディー海岸上陸が開始された。ドイツ軍がフランス海岸に構築した「大西洋の壁」にいど連合軍は第1波兵力15万6000人以上。空軍はイギリス1万1590機、アメリカ6080機、他の連合軍5510機、海軍戦艦7隻、巡洋艦23隻、駆逐艦・フリゲート艦168隻、上陸用艇4126隻。総司令官はこの1月にアイゼンハワーが任命されていた。迎え撃つドイツ軍はUボートを除いて海軍はほとんどなく、空軍も連合軍の50分の1と、劣勢にあった。ここを守るB軍団司令官は「砂漠の狐」と称されたロンメルであった。連合軍を上陸させてから撃滅しようと考える西部戦線ドイツ軍総司令官ルントシュテットに対し、ロンメルは水際での迎撃を主張したが、双方ともに最善と思われる方法はヒトラーによって却下された。ヒトラーは、連合軍の侵攻を頭からあなどっていたのである。連合軍の攻撃はこの日午前1時30分、空挺部隊降下に空爆、艦砲射撃で始まった。シェルブールを目指すアメリカ軍は6時30分ビール川河口の2地点に、カーンを目指すイギリス・カナダ軍は7時30分オルヌ川周辺の3地点に上陸を開始した。上陸初日の連合軍は、わずかな地域しか占領できなかった。しかし、連合軍を上陸地点で破砕するロンメルの意図は崩れた。この日「6月6日」は連合軍にとって、大戦を勝利に導く第一歩として、忘れてはならない記念の日となる。
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