カタラウヌムの戦い
パリ東方シャンパーニュ地方のカタラウヌム(またはカンプス・マウリアクス)。ここで451年6月20日、東西の雌雄を決する大戦が行われた。西ローマのアエティウスを総大将とする西ヨーロッパ連合軍とフン族のアッティラ(406?-453)の率いる大軍が激突。凄惨な戦いは一日中続き、ローマ側主力軍の西ゴートのテオドリックが戦死したが、軍配はかろうじて西ヨーロッパ連合軍にあがった。敗れたアッティラは、452年、ヴェネツィアを荒らし、ミラノを占拠する。だがアッティラの陣営に疫病と飢餓が発生する。教皇レオ1世はアッティラと交渉し、フン族は莫大な貢納の約束とひきかえに、イタリアから撤退することになった。(Attila)
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