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2023年5月24日 (水)

李氏朝鮮はなぜ元号がなかったのか?

 今日は何の日。5月24日、李成桂が昌徳宮で薨去した(西暦では1408年)。太祖(イ・ソンギエ、あるいはイ・ソンゲ)は1392年から1897年までおよそ500年続いた李氏朝鮮の創始者である。太祖が没したのは第3代国王太宗の時代で、「李朝太宗実録」巻15には「太宗八年五月壬申条」とある。中国の暦では永楽6年5月24日。陽暦では1408年6月18日のことである。ところで李氏朝鮮ではなぜ日本のように元号を使用しなかったのだろうか。朝鮮時代の前は高麗時代。このときから、朝鮮半島は中国(元)を宗主国として尊重してきた。朝鮮王朝時代に入ってからも中国の影響力は衰えなかった。そこで李成桂は、中華統一を成し遂げた明に対して、宗主権を認めたり貢物をしたりするなどして独自の国家を維持してきた。ちなみに「朝鮮」という国号も「朝の静かさの国」という意味で、中国に了承してもらったものである。宮廷衣装なども、韓服といっていてもほとんど中国の服飾を採用している。元号を独自に採用するなどなおさら難題である。ちょうどその頃、明の永楽帝の時代、靖難の役(1399~1402)が起こり、反対勢力を弾圧した。建文帝の存在を歴史から抹殺するため、建文の元号を抹消し、この年を洪武35年として、翌年(1403年)を永楽元年とした。そのため朝鮮王朝では中国の元号を使うのが原則であり、ないしは後世の記録書では国王の在位で数える年号を記すことが慣例となり、徳川時代のような元禄・文化・文政という独自の元号はなかった。

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