「鉄の意志の国」ベトナム
ベトナムの歴史は外国の侵略に対する抵抗の歴史でもあった。紀元前2世紀、漢の武帝の侵略に始まる。交趾太守が置かれた。紀元40年、メリン県の有力者の娘として生れたチュン・チャク、チュン姉妹(微側、微弐)は反乱を起こした。光武帝は41年、馬援を派遣し、姉妹を捕らえて処刑し、中国支配が復活した。
ベトナムを安南と呼ぶのは679年に唐が辺境統治のため安南都護府を置いたことに由来する。安南都護府は現在のハノイにあたって、ベトナム北部を治め、南海諸国を管轄していた。その後、ベトナム民族が中国から独立すると、自らを大翟越、大越、越南、大南などの名で呼ぶことがあったが、中国では依然安南の名を使い、他の諸外国もこれらにならった。安南の黎利(1385-1433)が1428年に明から独立し、大越と号す。黎朝は17代、18世紀末まで続く。1802年グエン(阮)王朝が成立し、1884年6月6日第二次フエ条約(パトノートル条約)によりフランスの植民地支配が始まった。その後、日帝植民地時代を経て、1945年の日本の敗戦でハノイでベトナム民主共和国の独立宣言がだされるが、翌年、フランスとのインドシナ戦争が勃発。1954年のジュネーブ協定で北緯17度線を境に南北に分裂する。ベトナム労働党(現共産党)は60年、南ベトナム解放戦線を創設。米軍がその後軍事介入し、1965年2月7日北爆が始まる。長期戦後の1973年1月に和平協定が成立。76年に南北統一を果たす。当初、社会主義経済を進めていたが、生産性の低下が問題となった。1986年からドイモイ(刷新)政策が行われる。2009年から韓国のサムスンが電子部品の製造工場を稼働した。現在、ベトナムは韓国サムスン携帯電話の主要生産拠点となっている。
数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことを「マクナマラ誤謬」という。この言葉の由来となったのが米国務長官ロバート・マクナマラ。神童と呼ばれたマクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとしたが、数値では測れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けず、300万人以上の犠牲者を出す泥沼の戦争を招いた。
安南通史 岩村成允 冨山房 1941
安南史研究 1 山本達郎 山川出版社 1950
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