石川啄木と函館大森浜
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
歌集「一握の砂」の巻頭を飾る秀歌で、石川啄木の作品中最も有名なものである。作歌は明治41年6月24日で、翌7月1日発行の「明星」に「石破集」の題下に発表された140首中の一首である。初出歌は「東海の小島の磯の白妙にわれ泣きぬれて蟹と戯る」と一行書きで発表され、明治43年7月の「創作」自選歌号にも再掲されている。「東海の小島」は特定の地名や場所を指すのではないという解釈も可能であるが、この一首を啄木の閲歴、実生活との関連において鑑賞するとき、彼が生涯において親しんだ唯一の海岸である函館大森浜を念頭において歌ったのではないかと考えられる。すでに函館に渡った直後の明治40年5月26日に作った「蟹」と題する詩が「ハコダテの歌」にある。
潮満ちくれば穴に入り、
潮落ちゆけば這ひ出でて、
ひねもす横に歩むなる
東の海の砂浜の
かしこき蟹よ、今此處を、
運命(さだめ)の浪にさらはれて、
心の龕(づし)の燈明(みあかし)の
汝(なれ)が眼よりも小(ささ)やかに
滅(き)えみ明るみすなる子の
行方も知らに、草臥れて、
辿り行くとは、知るや、知らずや。
歌集「一握の砂」は明治43年12月1日、東雲堂書店から刊行された。四六判290頁、定価60銭であった。「東海の」歌は現在函館市住吉町共同墓地東南の一角、立待崎の眺望のよい断崖の上に建つ啄木一族の墓の碑面に刻まれているが、これは岡田健蔵と宮崎郁雨によって、大正15年8月1日建てられたもので、郁雨がその資金を提供した。岡田健蔵(1881-1944)は市立函館図書館(大正11年創設)の初代館長である。宮崎郁雨は本名宮崎大四郎といい、啄木が函館へ渡ったとき以来、生涯、生活的な援助をした人で、著書に「函館の砂」がある。
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