三十八度線と板門店
山が高くて、来られないのか
水が深くて、来られないのか
同じふるさとの、土でありながら
南と北に引きさかれた怨恨千里の道
三十八度線をさまよう
朝鮮民族を分断した三十八度線の歌の一節である。作詞者も作曲家も分からない。いつの間にか、朝鮮民族の間に、口伝えに広まった。この歌はおおっぴらには歌えない。サンパルソンの歌は哀しみの歌として今もひそかに口ずさまれている。
板門店(はんもんてん)は、ソウルの北62㎞の地点にある韓国と北朝鮮との共同警備地域(JSA)。中学社会科で習うが、「板門店」とは食堂の名前みたいだと思った。本来、この地域は「ノルムンリ(板門里)」という一寒村であったが、1953年、北緯38度線付近に停戦ラインが設けられ、朝鮮戦争の軍事休戦協定がここで締結された。カナ表記はむかし「バンムンチョム」と覚えたが、最近は「パンムンジョム」に統一されている。ではなぜ「ノルムンリ」が「パンムンジョム」になったのか。朝鮮戦争時の中国兵士が書いた漢字の落書きが発端らしい。ここに一軒食堂があった。兵士は食堂の壁に「ノル」は漢字で「板」なので、「板門店」と書き残したところ、それが正式の地名になってしまった。正面の建物は、パンムンガク(板門閣)という北朝鮮の事務室である。
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