羊羹の歴史
羊羹はもともと中国のもので羊肝と書き、羊の肉を使った羹(あつもの)だった。それが羊の肝の色をした赤小豆と白砂糖でつくった蒸し餅のようなものに変わる。鎌倉・室町時代に、留学した禅僧により禅宗文化が渡来し、この羊肝餅が中国から日本に入った。獣肉食を喜ばない日本では、羊の肝ではいけない。そこで中国語句にある「羊羹」という料理名を用いて、点心の1つとしてつくられたのが羊羹である。肝(カン)に近いオンである羹(キョウ)またはカウだが、カウがカンと音転する。
羊羹は初め蒸し羊羹であった。赤小豆の粉、砂糖、葛の粉にもち米の粉を練り合わせて、木枠に入れて蒸したものである。京都で煉羊羹ができたのは天正17年(1589年)で伏見の駿河屋の岡本善右衛門が小豆と寒天と砂糖を原料に、練り羊羹をつくったといわれている。つづいて、寛永3年に金沢で遠州流茶人金物下屋忠左衛門が初めて練羊羹をつくった。
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